観音尋常小学校跡の石垣


観音小学校のはじめが、最初にできたのは明治7年に千同村に善正舎である。引続いて各村々に学校ができた。
後に各村の学校が合併して坪井小学校(坪井村と三宅村)、神尾小学校(倉重村と千同村)佐方小学校(佐方村:現在の廿日市市佐方と佐伯区佐方)となった。
明治19年に坪井小学校へ神尾小学校を合併して上側小学校とし、神尾小学校を上側小学校の分教場とした。

明治22年の町村制施行により、佐方・屋代・三宅・坪井・千同・倉重の六ヶ村を合併して、新しく観音村が誕生した。
これを機縁として校舎を区域内のほぼ中央部にあたる、千同原山に移転することとなり、工事中は延命寺本堂と正楽寺本堂を借用して仮教室とした。
明治24年 6月、三宅・坪井・千同・倉重を学区とする学校の新築校舎の落成をみ、観音尋常小学校と校名を変えた。

この石垣は城の石垣とつくりが同じように、少し外に反っていて大変珍しいものであった。
現在では、観音尋常小学校跡は住宅が建ち、石垣が上一段なくなり外に反っている感じがつかみにくいのが残念である。
石垣の石をよく見ていると、石を運ぶときに指や棒をを引っ掛けたり、縄をかけるために削った箇所が今も残っている。

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