怪力の武将 坪井将監(つぼい しょうげん)





高さ : 約153cm
幅  : 約 70cm
厚  : 約 27cm
重さ : 約240kg
 「瓜の蔓には茄子はならぬ」の諺がありますが、坪井将監の母は大力で有名であった武将、安芸区温品(ぬくしな)の地に住んだ温品左衛門家親(ぬくしなさえもんいえちか)の娘だということです。
その娘が坪井の新里因幡(にいさといなば)に嫁して、生まれたのが将監です。
かつてこの石は極楽寺裏山道によこたわり、参詣の人々や村人通行の妨げになっているのを知った将監は、自宅に持ち帰り常日頃の鍛錬のために使用したといわれています。

将監の奮戦談はいろいろありますが、厳島の合戦では、元就の命を受けて陶(すえ)の大軍をおびき寄せる手立てのため、宮島におとり城である宮尾城を築き戦いました。
陰徳太平記巻第二十六抄には「兼ねて、たくわえて置きたる巨石、鵝毛よりも軽げにひっさげ、大木取って投げ出す間、敵の突並べたる楯どもみじんに折り砕くのみか兵卒、又、これにあたりて粉になって失せければ・・・・」と
怪力をもって奮戦する様子を表現しています。

将監の父は元亀元年(1570)三宅の三王院円明寺の仏弟子となり、出家し智珠と名乗り、後に善正寺を創建しました。
将監も父の志をついで出家し智旭と名乗り諸国行脚の旅に出、石山本願寺に入り織田信長との戦い「石山合戦」に参加しました。
その功を認められた将監は、顕如上人より阿弥陀如来の御木像・法然上人筆の名号・黄金二枚・白銀六十枚を拝領して帰り、善正寺を浄土真宗に改めました。