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我校の歴史 〜昭和〜
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昭和2年
(1927)
観音小学校が今のところに移る
 
 
新校舎が完成する
  
 
高等科に図画、手工、農業、珠算、手芸、女子には家事を加える
   
男子補修学校が昼間授業となり、観音実業専修学校と校名を変える
   
少年赤十字団を高等科2年に置く
   
五日市に水道組合ができる
   
世の中が不景気になり失業者が増える
  3年 (1928)
佐方分教場を廃止する
 
 
本校出身アメリカ在住者(30名)が、グランドピアノ(価格1,750円)を寄付する
   
校舎、講堂、御真影奉安殿が新築される
寄贈されたグランドピアノ
昭和3年校舎全景昭和3年の全景
      
倉重地区に山津波による大水害が起こる  山津波による大水害 倉重地区
   
第1回普通選挙(衆議院議員)
   
広島でラジオ放送が始まる
   
ラジオ体操放送を始める
  4年 (1929)

広島の八丁堀に百貨店ができる

   
世界恐慌が始まる
  5年 (1930)
子どもが洋服を着始める
 
 
満州事変が起こる
  6年    
 
  7年 (1923)
岡の下川を今のようにまっすぐに治す
    
県道(湯来線)ができる
 
 
5・15事件が起こる
  8年 (1933)
校内に養豚舎や温室をたてる
  9年  
 
 
 10年 (1935) 校内に二宮尊徳の銅像を建てる
    観光道路(今の国道2号線)ができる
    学校放送が全国で放送される
    国鉄呉線が開通する
 11年 (1936) 観音村に郵便局ができる
    第1回広島県総合体育大会が広島市で行われる
    2・26事件が起こる
 12年 (1937) 楽々園に遊園地ができる
    五日市町役場(現在の佐伯区役所)を今のところに移す
    ヘレン・ケラーが広島市袋町尋常高等小学校で講演をする
    日中戦争が始まる
 13年      
 14年 (1939) これまでにない旱魃が起こる(観音村では、田植えができない家も多かった)
    県知事や農林大臣が観音村の旱魃の視察に訪れる
    第二次世界大戦が始まる
 15年 (1940) 県下一斉に地区ごとに常会を開くようになる
    砂糖・マッチがキップ制になる
 16年 (1941) 太平洋戦争が起こる
    観音国民学校と校名を変える
    二宮尊徳銅像を拠出する
    観音村(坪井、三宅、屋代、佐方)で、ため池(灌漑用)をつくる
    農繁期に共同で炊事をするようになる
 17年 (1924) 観音村役場を三宅に新築する
    衣料(着るもの)が、キップ制になる
 18年 (1943) 土地を切り開き、食糧増産に学校全体でがんばる
    小学校低学年児童を親戚に疎開させるように勧める
 19年 (1944) 食糧増産のため、校庭を「さつまいも畑」にする
    産業道路(現在のコイン通りができる
    給食によって児童の栄養を維持する
 20年 (1945) 広島市に原子爆弾が落とされる(午前8時15分)
    観音・五日市・八幡国民学校でけが人を看病する
   

観音国民学校では、約208人の看病をしている
    全市で、9月から青空教室や他の学校に教室を借りたりして授業が始められる
    枕崎台風により、広島市をはじめ中国地方が大被害を受ける
    佐方地区が山津波により大水害をうける
    五日市に造幣局ができる
 21年 (1946) 観音村に天然痘が流行し、10日間臨時休校する
    似島に戦災孤児収容施設ができる
 22年 (1947) 国民学校を小学校と呼ぶようになり、観音村立観音小学校と校名を変える
    新しく新制中学校がつくられる
    日本国憲法が実施される
    ミルクとおかずだけの学校給食を始める
    平和祭を平和広場で行う
    「平和の鐘」ができる
    農地改革実施
 23年 (1948) 観音村立観音小学校にPTAができる
    観音村に村立保育所ができる(坪井保育園はじめ)
    広島市立小学校PTA連合会ができる
    新制高等学校がつくられる
 24年 (1949) 映画館「五日市有楽座」ができる
    広島市が平和記念都市になる
    第1回広島県美術展が開かれる
 25年 (1950) 観音村公民館ができる
    広島市に教育委員会ができる
    小学校の給食が完全給食(パン・ミルク・おかず)となる
    広島カープ球団が結成される
 26年 (1951) ルース台風で各市町村が大損害を受ける
    サンフランシスコ平和条約がむすばれる
 27年 (1952) 観音村立観音小学校に衛生室と放送室をつくる
    完全給食を始める
    各町村に教育委員会を置く
    鈴峯ゴルフ場ができる
 28年 (1953) NHKテレビ放送が開始される
 29年 (1954) 観音村立観音小学校が子ども銀行をつくる
    広島平和記念公園が完成する
     
昭和29年 修学旅行 四国屋島
 30年 (1955) 五町村(五日市町・観音村・八幡村・河内村・石内村)が合併して五日市町となる
    観音村立観音小学校を五日市町立観音小学校と校名を変える
    佐方地区の児童が廿日市小学校へ転校する
    五日市町立五日市観音小学校子ども銀行が、県知事・大蔵大臣・日本銀行総裁から表彰される  
 
子ども銀行が受賞した盾

←子ども銀行が受賞


 電話機→
電話
    五日市町立観音小学校に電話がつく
    竹の内(五日市)に浄水場をつくる
    広島平和記念館・広島平和記念資料館が開館する
     
昭和30年ごろの
1年生の授業風景
 31年 (1956) 五日市町立観音小学校に上水道をつける
    NHK広島放送局がテレビ放送を始める
    国際連合に加盟する
 32年 (1957) 五日市町立観音小学校子ども銀行が、大蔵大臣から表彰される
    広島バスセンターができる
    広島市民球場ができる
 33年 (1958) 広島城天守閣を復元する
      昭和33年木造校舎前で仲良し3人組 昭和33年 木造校舎前で
 34年 (1959) 五日市町全町に有線放送をはじめる
    メートル法を使うようになる
 35年 (1960) 五日市町立観音小学校木造モルタル校舎第一期工事が終わる
    カラーテレビ放送(東京)が始まる
 36年 (1961) 五日市町立観音小学校木造モルタル新校舎第二期工事がおわる
     
    国語教育研究校に指定される
    広島工業大学(三宅)ができる
    NHK広島放送局が教育テレビを始める
    第1回広島市小学校児童水泳記録会を行う
    広島空港ができる(南観音)
   昭和36年 新校舎前での運動会
 37年 (1962) 講堂を西側から東側に移す
    交通安全日(1・10・20日)を設ける
    国語教育研究が評価され学研教育賞を受賞する
    五日市に電報電話局ができ電話がダイヤル式になる
 38年 (1963) 消防署を五日市町役場のとなりに置く
    広島市教育委員会(以後市教委)が1年生のみに教科書を無償で与える
 39年 (1964) 楽々園沖の海水浴場を埋め立て、土地造成を始める
    ごみ焼却場が笹利(石内)にできる
    広島平和公園の平和の灯が点灯される
    山陽本線が電化(広島〜徳山間)される
    第18回オリンピック東京大会が行われる
 40年 (1965) 五日市町立観音小学校の運動場を拡げる
    観音児童館ができる
    北原(八幡)に浄水場をつくる
    町営住宅(鉄筋3階建)を千同につくる
    信号機を国道につけ始める
 41年 (1966) 五日市町立観音小学校の各教室に教育用テレビをつける
    第1回広島市小学校児童陸上記録会を行う
    この年から、小学校の石炭ストーブを石油ストーブにしていく
    「敬老に日」「体育の日」制定
 42年 (1967) 五日市町立観音小学校にプールをつくる
    五日市町立観音小学校の新しい校歌を発表する
    五日市町立観音小学校の創立記念日を1874年12月17日と制定する
    市教委、子どものために運動場開放事業を始める
    大田川放水路ができあがる
    建国記念日の制定
 43年 (1968) 五日市町立観音小学校第1回校内水泳記録会を行う
    広島平和祈念式典を行う
 44年 (1969) 五日市町立観音小学校、新入学児童に対して1日入学を始める
    五日市町立観音小学校図書館ができる(寄贈)
       卒業生寄贈
    観音公民館が新築される
    市教委、この年より個人用パイプ机、腰掛を使用し始める
    アポロ11号、人類初のつき着陸に成功する
 45年 (1970) 五日市町立観音小学校第二棟鉄筋校舎(教室6・特別教室<理科室・家庭科教室・音楽室>3階建ができる
   

コイン通りの立体交差橋ができる

    大阪万国博覧会がひらかれる
 46年 (1971) 五日市町立観音小学校の校庭に緑地帯をつける
    西広島バイパス(庚午北〜波出石)ができる
    広島市青少年野外活動センターができる
       修学旅行 阿蘇山
 47年 (1972) 五日市町立観音小学校の児童が急に増えたため、プレハブ2教室を増設する
    美の里に排水ポンプを備える
    沖縄が返還される
 48年 (1973) 五日市町立観音小学校の屋内運動場(体育館)ができる
      
昭和3年に作られ、戦前・戦中・戦後の地域の歴史、日本の歴史を見続けた講堂の取り壊し前の様子
    広島市がクスノキを市の木とし、キョウチクトウを市の花とする
 49年 (1974) 五日市町立観音小学校第二棟鉄筋校舎(教室8・配膳室・給食リフト)4階建を増設する
    土師ダム(高田郡八千代町)ができる
    西広島バイパス(五日市〜地御前)が開通する
    五日市町立観音小学校創立百周年記念式典を行う
創立100周年記念式  新旧校舎の風景
    三筋保育所を開所する
    県立五日市高等学校が開校する
 50年 (1975) 五日市町立観音小学校の行事として、オリエンテーリング大会(観音公民館〜極楽寺山)をする
    五日市町立観音小学校第三棟鉄筋校舎(教室8・特別教室<理科室・音楽室>・便所・配膳室・給食リフト)4階建ができる
    新幹線(岡山〜博多間)が開通する
広島カープ初優勝
 51年 (1976) 五日市町立観音小学校用務員室ができる
    白が瀬浄水場(八幡川)ができる
    広島市植物公園ができる
 52年 (1977) 第1回フラワーフェスティバルが行われる
    PTA文部大臣賞受賞
 53年 (1978) 広島市教育センターができる
    ひろしま美術館ができる
    広島市少年自然の家ができる
    市教委、学校体育施設開放事業を始める
 54年 (1979) 市教委、月一回の米飯給食を始める
 55年 (1980) 五日市町立観音小学校に養護学級ができる
    千同保育所を開所する
    魚切ダム(八幡川)ができる
    広島市が政令指定都市になり、7つの区役所をつくる
    広島市こども文化科学館ができる
    広島市こども図書館ができる
 56年 (1981) 魚切ダムが給水を始める
    第1回広島国際平和マラソンが行われる
 57年 (1982) 五日市町立観音西小学校が五日市町立観音小学校から分離し開校する
      五日市町立観音西小学校 開校五日市町立観音西小学校開校
    土曜夜市が行われるようになる
    広島市グリーンスポーツセンターができる
 58年 (1983) 五日市町立中央小学校の開校にともない、五日市町立観音小学校から一部児童が移籍する
      五日市町立中央小学校開校 五日市町立中央小学校 開校
    被爆した人たちが、語り部活動を始める
    中国自動車道が全線開通する
 59年 (1984) 似島臨海少年自然の家ができる
    平和学習に使われてきた中区基町の被爆エノキの幹が、台風10号で折れる
 60年 (1985) 広島市との合併により広島市立五日市観音小学校(以下五日市観音小学校)と校名を変える
    広島市立五日市観音中学校が開校する
   五日市観音中学校の開校式の様子
    広島市郷土資料館ができる
 61年 (1986) 五日市観音小学校第一棟管理棟(木造)を鉄筋校舎(教室6・職員室・校長室・事務室・保健室・図書室・放送室・視聴覚室・会議室・印刷室・玄関・児童玄関・給食リフト)三階建にする
    五日市観音小学校の飼育舎・野外照明施設ができる
    国鉄宇品線が廃止される
 62年 (1987) アスレチック完成(運動場)
       
    日韓ジュニア交流競技大会をする
    山陽自動車道(廿日市〜広島東間)が開通する
 63年 (1988) 本川小学校に平和資料館ができる
    廿日市町が廿日市市になる
    佐伯区民文化センター・佐伯区図書館ができる

 64年
平成元年

(1989)    
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