トップページへ
我校の歴史 〜大正〜
[明治時代]     [昭和時代]     [平成]
大正5年
(1916)
広島市の村を町と呼ぶようにする
   
第1回広島県体育大会を開催する
  6年 (1917)
新校舎を増築する
     
広島市教育委員会ができる
  7年 (1918)
観音村に女子補修学校を開校する
   
「米騒動」が県内全域で起こる
   
スペイン風邪が大流行する
  8年
(1919)
九州帝国大学櫻井恒次郎教授を招いて、体育の研究会での指導を受ける
   
五日市で自動車を使い始める
   
第1回広島市民体育大会を開催する
   
南観音町に陸上グランドをつくる
  9年 (1920)
第1回国勢調査を実施する
   
初めての「時の記念日」「虫歯予防デー」を実施する
  10年 (1921)
小学校児童の保護者と補修学校の保護者が、観音村保護者団をつくる
  11年 (1922)
坪井(観音村)の人たちが、牛池山(原村)に、ため池(水田にみずをひくため)をつくる
   

全国水平社が結成される

  12年 (1923)
バス(水内〜広島間)が通り始める
    
広島県水平社が創立する
  
 
関東大震災が起こる(9月1日)
  13年 (1924)
男子補修学校(夜間)を加え、観音実業補修学校と校名を変える
   
私鉄宮島線(草津〜廿日市間)が通り始める
      広電 五日市電停付近五日市電停付近
  14年 (1925)
ラジオ放送開始
  15年
(昭和元年)
(1926)

保護者団の事業として、生徒学用品調達部の収益から図書を買い、児童生徒に贈る
   
青年訓練所を付設する
   
五日市に電話がつく

[明治時代]
    [昭和時代]     [平成]